MISSI'S BLOG

のんびりやってます。

「ポーの一族〜春の夢」フラワーコミックススペシャル

あれですよ、これ、いつか書こうと思いつつ、雑誌でリアルタイムで興奮しまくっていたので、今更、何を書くんだよという感じであったのだった。でも、単行本発売したのだからそれはそれでアップなのですよ!と、言いつつ、今頃!
いや、ちょっと都合があって、すぐには買えなかったこともありますが、本当に興奮が長引いて、まともに落ち着いて単行本が読めなかったのですもんもん。
落ち着け!自分。
そんなわけで、まだ足元ふわふわしてますが、改めて読み進めていくと、思うのですが、丁寧で美しいバックや描きこみ、多分イマドキの漫画の中では台詞もコマも細かいのに、読み易いんだよな〜と感じるのは私だけ?
目の動きを計算されたコマ運びとかもあるんだと思うけど、間とかかな?単に萩尾漫画を読み慣れているからかな?

まとめて読むと作中に何度も「春の夢」の詩とメロディが流れるわけですが、その度に詩のイメージが違ってくるのがおもしろい。
まず一話でブランカの歌う「春の夢」、これまで一人で溜めていたものが一気に噴き出して、その後冬のさなかからの「春」を予感していく。
そして、エドガーは「彼女は僕の春の夢」と語る。
読んだ当初は、なぜだろうと思った。
でも全て読み終わった今では、ラストのエドガーのアランへの気持を語る瞬間がその答えのような気がします。
彼女の中に溜め込んだ思いを吐き出し、希望を持って生きていることの一瞬の喜びを、エドガーは共感することで「生きていること」を感じるのではないのかと。
これは少し解りづらいので、私の推測の域を出てませんが。

その後も、キャラクターの感情の流れと共に歌われ、そのまま「希望」だったり、予感に対する「期待」や「喜び」だったりと、変化が読み取れて面白い!
そして、そのまま、物語が「つづく」ことで、私たち読者の次回作への「春の夢」になってしまうという!!枕詞みたいな!?掛詞みたいな??<ちょっと違うかもしれないが(汗)

それは、もう「期待に満ちた夢」なんで!!私のテンション高めです。とは逆にこの作品の最後に流れる「春の夢」は、ブランカは失くした「得られることのない夢」なので、切なくもあり、美しく、辛い。
あるいはその前のページの旅立つエドガーの姿にも被せてラストで流れる「春の夢」が、メリーベルと養父母と、ラストのコマは本当の母親の古い記憶という、なんてこったですよ!!
もう何百年経っても、「夢」として彼の中に生き続けるのかと思うと辛い。
年寄りは書きながら思い出すだけでじわじわ涙がでそうよ(>_<。)

ところで平成エドガーさんは、以前の少女漫画的イメージより、更に上品な英国人という風味が出てて(私の日本語・・・誰か通訳して!)、もっとクールな子だと思ったものの、動揺したりする姿に人間味を感じた。(←可愛い)それまでは、どこか閉じられた世界の夢のような世界だったのだが、「エディス」で絵に落ち着きあるからリアル感強くなってからの、あのラストなのでショックなのだが、今回の「ポー」で感じるリアルさは、そこからの地続きになっておりつつも、そのことは忘れさせられ(または何かを期待してしまい)元気なふたりの姿を拝めて、今も彼らは生き続けている気がして、少し夢見る気持を持ってしまうね♪とりあえず、萩尾先生が続きを描き続けている限り、夢見てますね〜(^^)
※以下リンクはたいしたことは書いてないが、雑誌発表当時の感想
2016年月刊flowers7月号
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20160612/p1
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20160612/p2
2017年flowers3月号予告
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20161228/p1
2017年flowers3月号
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20170201/p2
2017年flowers4月号
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20170304/p1
2017年flowers5月号
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20170417/p1
2017年flowers6月号
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20170505/p1
2017年flowers7月号
http://d.hatena.ne.jp/missikurage/20170604/p1